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「しつけ」と「虐待」、今昔 (2)

春到来!バタバタしてて遅くなってしまった;
(1)に続き、妙な記事タイトルでいきやーす。



今回は私の母親にまつわる、笑えるような
笑えないような思い出を書いてみる。

そんで私自身の「しつけ」に対する思いも
俯瞰して見られたらいいなと。


※そんなにヘビーな話じゃ~ないけんども
虐待とか体罰とかそういう話が苦手な人は、
前回以上に読まない方がいいかもかも;;






私の母は、現在65歳。
熊本の山育ちで、牛やヤギを飼い畑をやる
農家の次女。子供の頃から親を手伝い、
家事全般をこなす「よくできた娘」だったそう。

両親は仲が良く、いつも連れ立っていた。
普段は早朝から夫婦で畑仕事にあけくれ、
夕方には仲良く疲れ切って帰った玄関で
倒れこみ、そのまま眠りこけていたそうだ。

くたくたの両親を起こすのが可哀そうで、
母達3姉妹は進んで協力して夕飯を作り
洗濯をし、着物なんかも自分たちで縫い、
小学生にして完璧な親孝行ぶりだったと
いうことで、、、私は小さな頃からずっと
母にその話を聞かされながら育った。

最初は「へーすごい」と思ったのだろうけど
覚えているのは「ま~たこの話か^^;」という
面倒臭さとプレッシャーばかりだったりする。


祖父祖母も認める、頑張り屋で親孝行で
完璧な娘時代を生きてきた母だったので、
父と結婚して、年子で産んだ私と妹にも
親孝行であることを強く望む節があった。

私と妹が5~6歳にもなると、家中の掃除に
玄関前の掃き掃除、犬の散歩とエサやり、
食器洗いや洗濯物の取込み&畳みなど、
朝は5時台から、夕方は学校から帰るなり
毎日、練習がてらにやらされていた。

母からするとどれも大した仕事ではなかった
のだろうけど、まだ1年生かそこらにして
「働かざる者、食うべからず」の決まり文句を
繰り返されながら強制的に手伝わされるのは
正直いつも苦々しくて嫌なものだった。


それはさておき、納得できなかったのが
テレビや漫画がほとんど禁止だったこと。

夜は、20時になると私と妹の部屋がある
2階のブレーカーが落とされ、まだ宿題が
途中でも真っ暗闇!で、寝るしかなかった。

たまに階段でこっそり宿題の続きをやって
いると、そこのブレーカーも落とされた。笑


妹はわりと素直に従っていたものの、
私は自我が強く反抗的なタチなので
6歳7歳の頃にはもう相当な勢いで
母の命令に背き、よその家と比べては
毎日のように言い争うようになっていた。

そんな中、私や妹が、手伝い等の言いつけを
守らずグズグズ言うと、母は竹製の1m定規で
娘二人の手足をビシバシと叩くのだった。

血こそ出なかったが、あれをやられると
幅広の超立派なミミズ腫れができ、
痛みより見た目の迫力で、私も妹も
ギャアギャア泣いた。


(長いので続きたたむ)









そんなある日、その定規がとうとう折れた。
(竹なのに!)

やった、これで恐怖のムチから解放されるっ
と思ったら、母はビニールテープで定規を修復。
なぜかますますしなりが強くなって、
痛みが増したことに気付いた時のあの絶望…
(今は妹と共通の笑いネタにしているが^^;)


竹の定規で叩かれ、私らが狂ったように
泣き始めると、今度はその泣き声が
母の癇癪を爆発させるようで、
決まって首を絞められた。

私と妹が3歳~7歳頃までに多かったと思う。

首を絞められると、それこそ死にそうに苦しい
ので私も妹も泣ききってしまい、解放されても
嗚咽で呼吸困難になる。それが毎回本当に
苦痛だった。ある程度まで泣くと「あ、もうすぐ
あれがくる」と分かる。そしてやっぱり息が
できなくなる。窒息の恐怖がちらつく数分間。

一度は、首を両手で締め上げられながら
宙づりにされた事があり、酸欠で失神した
私は床にバターンと倒れ、家具で頭を強打。

既に気絶していたので痛みはなかったが、
目がさめると後頭部から血が出ており、
パニックに陥った私は当然ギャン泣きし
血を流しながらなぜか居間を走り回った。

それを見た妹が鬼泣き→首を絞められる、
という地獄絵図が繰り広げられたことは
今も強烈な思い出になっている。。

傷が浅かったのと、たぶん通報を避ける
ためだと思うが、母は病院に行くことなく
後頭部に絆創膏をペタリと貼ってくれた^^;
(子供心に「それだけかよ」と衝撃だった)


妹も一度大流血のケガを負ったことがある。
まあこれは自分でやったと言えなくもないが;

妹は着替えるのが遅くて毎度叱られていた。
ある朝、パンツ一丁で庭に放り出された妹は
真冬の寒さ(朝はマイナス3度とかになる)と
居間で家族がご飯を食べ始めた光景に焦り、
窓ガラスを全力で連打して見事大破させた。

大きな破片が妹の太腿に突き刺さり、大出血
したのだが、やはり母に絆創膏を貼られて終了。
今でも大きな三つ葉のクローバー型の傷が
しっかり残ってしまっている。
(あれこそ縫うレベルだった気がするんだけど;)


当時の母は何かと壊滅的な精神状態でもあり、
私と妹を乗せて運転している車の中で、突然
「このまま死のうか」と言いだし、対向車が
来たら正面衝突で全滅できそうなスピードで、
先の見えない急カーブに突っ込んで行く…
そんなことを、しょっちゅうやらかすのだった。

妹がどんな反応をしていたのかは覚えて
いないが、そんな時、私はいつも無言か、
「ばかじゃないの」と後部座席で余裕こいて
寛ぐフリをしていた。内心は勿論怖かったが
運よく一度も対向車が来たことはなく、
今こうして親子で中年と初老になっている。



ここだけ振り返ると、ただヤバそうでしかない
当時の我が家だけれど、普通の日は意外と
親子の会話と笑いが絶えない家庭でもあった。

そのことには、我が家のお隣に住んでいた
1つ上の女の子が、「Nちゃんちが羨ましい。
毎日楽しそうに笑ってるから。うちはあまり
家族で喋らないし、誰も笑わないもん」と、
話してくれたことで自覚した。


確かに、実は相当天然だった母のやらかす
ドジは面白かったし、私や妹の話すことに
母はよく笑っていた。父がいる時なんかは
完璧なバランスで、愛犬もいてリスもいて、
モルモットやウサギ、たくさんのインコ達にも
囲まれ、良い家庭環境と言えなくもなかった。
(※通常モードの状態を、はたから見れば;)


でも、元来相性が最悪だったらしい母と私は
本当によくぶつかった。超マイペースな私に、
対する母はかなり短気かつ完璧主義。
母の頭の線が一本キレると、いつもの居間が
突如、恐怖の空間に変わってしまう。


私が小1か小2当時のある朝、登校前に
「お母さん、髪の毛を結んで」と頼むと、
ドレッサーにあったハサミを掴んだ母に
手の甲を切り付けられた事があった。

その前後に何があったんだか覚えていない
のだが…例によってタイミングが悪かったか、
私がしつこく言い募っていたとか、そんな所
だったはず。だけど手の甲から出てきた血を
見た時にはショックで泣かずにはいられず、
わんわん泣く私の手に母は鬼の形相のまま
やはり絆創膏をペタッと貼り、登校時間には
普段通り玄関先へと送り出されたのだった。。

その日は、二軒向こうの家に住む6年生の
お姉さんが私と手を繋ぐ日で、当然ながら
私の手の出血に気付いた。「どうしたの」と
聞かれたので普通に「お母さんにハサミで
切られた」と答えると、お姉さんは大爆笑!

冗談だよね?いやマジなの?いやいやいや
…という感じで、とにかく大ウケされたので、
そこで私は『あ、みんなのお母さんはこういう
ことしないんだ;;今後は秘密にしないと…』
と幼心に悟ったのだった。。



大人になってから気付いたが、当時の母は
どう考えても立派な育児ノイローゼだった。

大好きな故郷から遠く離れた場所に嫁ぎ、
親戚も友人もいない中で年子を育てるうち、
ストレスであんな有様になってしまった。

大人相手なら完璧にやってこられた母。
でも我が子はまったく思い通りにいかず、
頼りの父は仕事で手一杯。それどころか
母の料理や育児に苦言していたらしい。
(やっかいなことに父はかなりの偏食家)

恋愛結婚した両親だけれど、「お父さんは
私の敵だ!と思ってた」と母は言っていた。



そんなこんなで、
母は意地になって全てに頑張りすぎていた。
毎日内職やパートで働き、家事も手抜きなし。
家は常に綺麗で、遊びに来る人によく驚かれた。
(手抜きできないことに母は今現在も悩んでいる)

私と妹の服や、バッグ等の小物類はほとんど
母の手編みやミシンで縫った手作りだったし、
毎日の食事も、運動会のお弁当も美味しくて
愛情も感じられた。身なりも毎日きちんとして
いたので、友達に「お母さんきれいだね」と
褒められることも多かった。

うちのお母さんおかしいけど実は凄いのかも…
と、姉妹で誇らしくなることもたびたびで、
そのおかげでか私も妹も大きな問題はなく?
成長していくことができたのだった。


ちなみに、
私ら姉妹が「お母さんのしつけはおかしい」と
気付くまでには、結構な年月がかかった。
それは、母に度々聞かされていた
「じいちゃんのお仕置き」が更に凄かったから。


もう記事長すぎてるので全部は書けないのだが;


とりあえず私ら姉妹が叩かれていた竹の物差し、
あれは祖父の場合だと、家のすぐ裏の竹林から
引っこ抜いてきたジャッキジャキの竹の根っこ
(※ぜひ画像検索して見て欲しい)…だったらしい。

あんなもので鞭打ちされたらどうなるんだ…?;;

あと一番インパクトがあったのは、
祖父を怒らせると、顔じゅうに味噌をベッタリ
塗りたくられて、手足を縄で縛られた状態で
牛小屋の天井から逆さづりにされた
、という話。

牛は子牛の頃から母も世話をしていて大好き
だったそうだが、この罰を受けている間だけは
恐怖の対象でしかなかったらしい。牛は、草食
なので決して母の顔をかじることはなく、顔面の
味噌をベロンベロンとなめ続けるだけだったが、
母は大号泣で「ごめんなさい」を叫び続けたとか。
(じいちゃんやりすぎやろ…)逆さ吊りって死ぬよね

祖父は3人娘の中で特に母のことを可愛がって
いたけれど(特によく出来た娘だったそーだし笑)
それ以上に、妻である祖母をめちゃくちゃ大事に
していたとのことで、娘達が母親に背くと即座に
竹の根の鞭打ち刑や、牛小屋に宙吊りの刑が
執行されたそうな。



ただ恐らく、60年前、母が住んでいた地域では
そんなのも普通の範疇だったんだろうと思う。

そして30年前も、私や妹が真冬に外に放り出さ
れてもご近所は気にしていなかったし、何なら
どこかから同じように近所の子が泣き叫ぶ声が
聞こえてきて、つい泣き笑いしたこともあった。

ちなみに10年前でも、当時子育て真っ最中に
あった妹(私より10年早く出産)が住んでいた
住宅地では、毎日どこかの子が外に出されて
泣く声があちこちから聞こえていたらしいけど^^;

今、私が住んでいる地域では、どういうわけか
ほぼ全く、そんな子供のギャン泣きは聞こえて
きません。。どこの家でも、しつけは静かに
理性的に行われている様子。


地域によりそうだが、しつけと虐待に対する世間の
センサーは、数々の虐待事件を経たこの10年で
ぐっと繊細なものになったのだなと感じる。

その分、育児サポートやカウンセリングが
充実してきたり、しつけでなくコーチング的な
育児法を取り上げる書籍が増えてきたりして、
時代はすっかり変わりつつあるのも感じる。


もし私が60年前を生きていたら、
我が子をどんな風にしつけていたんだろう…
考えるとちょっと怖い気もする^^;




でも、面白いことに、
母が祖父のしつけの思い出を語る時は、
いつもなぜかすごく楽しそうなのだった。

たぶん、怒られる理由に納得していたのと、
普段から親子関係がしっかりしていたのと、
両親がとても愛し合ってるのを実感できる
しつけのあり方だったから、なんだろうな~


ちなみに私は、ここに書いたような過去の
「母のしつけ」を、自分の娘2人に話すことは
できない。というか、あえて話したくはない…

母がノイローゼだったことは分かるけれど
それを理由に100%納得して話せるわけじゃ
ないし、聞かされた方も引くだけだろうし;;




ただ救いなのは、私が母のことを今はもう
恨まずに済んでいること。

というのも、大人になってから、母が
あの当時のことを謝ってくれたことがあり…

その瞬間、心の中にあった古~いしこりが、
さーっと消えていったのを覚えている。
その時もう私は20代半ばだったのだが、とある
きっかけから子供の頃の話をする流れになり、
言い争いのようになった末に母が謝ってくれて、
2人で泣きに泣いた。

当時の「しつけ」が、私を嫌っていたからという
理由からではなく、他の要因が重なっていて
母自身どうしようもなかっこと。さらに母は私に
今も昔も甘えてしまっているのだと気付いた事で
消え残っていた苦しみから一気に解放された。

あの出来事があるのとないのとでは、
私の人生の形そのものは同じだったとしても
やっぱり心の欠け具合が全く違った気がする。


子供の頃に親から受けた傷を癒す方法は
人それぞれ色々あるにはあると思うけれど、
あれほど一瞬にしてそれをなせるのは
やっぱり親本人だけだろうと思う。


なので、間違いのない育児を目指すこともだけど
もし間違ってしまったら、親が自ら気付いて認めて
子供の心に空いた穴を必ずふさいであげること。
例え20年後になったとしても、謝るべき時に謝る。
これが一番大事なのかも…と思う私なのだった。



ま、子供がひたすら親を喜ばせてくれるばっかの
いわゆるギフトチャイルドとして生まれてくれば、
誰もしつけで苦労なんてしないんだろうけどさ♪

(当然私は残念ながらギフトチャイルド側じゃ
なかったと思う!母ちゃん面倒かけたね~☆彡)


そしてどんな理由があろうとも、
私のしつけに対し、成長後の娘らのどちらか1人でも
納得できていない様子でいたら、きちんと話して
謝って癒してやれる人間でありたいと思う。

今が駄目駄目だから、その頃にはせめて;;





というわけで、
べらぼうに長くなったところで、おわる。。。



でも忘れた頃に(3)もあるかも…


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nozocco

Author:nozocco
2010年11月29日一卵性双子を出産。
ぷっくぷくの女の子リポ&カポを
ひーこら育児中。

愛用した双子用バギー
ベビージョガーシティミニダブル
(カテゴリーに使用レポを記録)
2人が年中さんの時に、同じ園の
生まれたばかりの双子ちゃんに
お譲りしました。
相当乗ってたけどガタがくる所か
まだまだ現役行けそうだったので
使ってくれてるのを見かけるたび
とっても嬉しい^^ 



育児環境:賃貸2LDK、駅近、車なし
徒歩10秒で公園、徒歩10分で児童館
食材や日用品は全てネットで調達、
隣県に実家、非常時は両親にヘルプ
夫は帰宅が遅いため平日は1人育児


2014年、保育園に入園が決まり
送迎用にダイハツのタントを購入。
園の狭い駐車場でも小回りバッチリ
軽だけど天井が高く、雨の日車内で
チャイシーベルトするのに便利!
双子バギーもピッタリ収納できて
双子ママの愛車として最高の車♪


双子入園前に私はパートで就職。
10時から17時の時間帯で勤務。

2015年、父が幾つかの難病を併発し
実家の育児サポートは頼めなくなり
週末は介護の手伝いをする生活に。

2016年春より12時から16時勤務。
(これぐらいがちょうどいい…)
パートと並行してフリーランスの
仕事も受け始める。

年長あたりから双子娘の免疫力も
すっかりついて、わりと計画通り
働けるようになってきました。
それでも余裕・予備日必須ですが;

そんな感じで現在に至る。
双子ママのみなさま、
5歳にもなると大分ラクですよ!
がんばりましょうね><!




昔からの趣味でもありストレス発散
手段でもある日記を、ほぼ日手帳と
このブログで楽しんでおります。

情報発信というより物思いの捌け口
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いるので人様にはかなり読み辛い筈;

育児母の戯言ってことでお許しを~。

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